binary ghost

どこにでもいて、どこにもいない二進法の幽霊

道ならぬ恋

 

 

「〇本ぬいさん、いらっしゃるかしら?

お取次ぎ頂きたいの

私的な用で申し訳ないんですけど」

 

現在私は客先常駐で仕事をしているのだが

そこに綺麗に髪を巻いた

40前後の一人のご婦人が訪ねてきた

 

「〇本はわたくしでございます」

私を訪ねてくる人など基本的にはいないので

なんだよどこの営業だよ

エステも保険もマンションもいらねーぞ

いや、マンションは独身こじらせそうな私には

マストかもしれない

話聞いといたほうがいいのかも

と、思いながら対応しに出ると

 

「佐々木の家内でございます、これでお分かり頂けるかしら?」

 

いきなりイラつきを隠さない表情で

居丈高に値踏みをしながら

尋ねられた

 

「え、はぁ…佐々木様、でございますか…」

 

よくある名前すぎて

思い当たらない

 

私は逡巡した

 

  • 候補1

高校の同級生、佐々木

しかしこいつは女だ

いま流行りの同性婚だろうか

いやこいつ去年結婚したはずだ

佐々木の産道から出てきた新人

一般で言うところの赤ちゃんの写真入りハガキ

もらった記憶がある

 

  • 候補2

大学の先輩、佐々木

男の先輩だが同性愛者だ

別れてさえいなければ、彼氏も知っている

そして5年は連絡とってない

 

  • 候補3

佐々木希

この説は薄い

 

  • 候補4

ハマの大魔神佐々木

野球選手らしい

野球はパワプロで学んだ

9人でやることまでは学んだ

 

  • 候補5

佐々木と見せかけて代々木

代々木という知り合いはいない

 

 

精一杯の終焉がかなりクイック&スピーディにやってきて

「わかんねえ」とは言えず

「佐々木様ですか…えっとどちらで…

あの…お、お世話になっておりまぁす」

思い出せないと言いだせず

なんとかやりすごそうと

笑顔で挨拶してみた

 

その笑顔がいけなかった

 

「よくもニヤニヤと…この泥棒猫!」

 

 

いきなりひっぱたかれた

ご婦人は目に涙をためている

 

私は鳩が豆鉄砲どころか

ガトリングガンでもくらったように

打たれた頬をおさえて

ボッサーーとしていた

たいして痛くもないが

不意打ちのびんたは生まれてはじめてくらった

 

 

泥棒猫、という言葉が駆け巡った

これにも思い当たることがない

 

いや、無意識下で私は何かを盗んでしまったのか

スーパーでもらった試食のシャウエッセン

あれ私が無料だと思い込んでただけで

ほんとは有料で

その罪を咎めに来たんだろうか

 

それともこの間お茶買った時

オマケにでついてた携帯クリーナー

ボトルにひっかけられてたから

てっきりオマケだと思ってたけど

携帯クリーナー(別売り)とかだったのか

 

もしや、この女性

佐々木は偽名で本名はフグ田

泥棒猫とのチェイスは裸足で臨むタイプかつ

買い物するときは財布持たない系の

人に同意を求めずジャンケンをいきなりはじめるあいつか…!

いきなりジャンケンとかヒカキンさんかフグ田にしか

許されねーんだぞ

 

 

なんだろう、結局私なにしたんだろう

 

でも、泥棒猫!っていわれて

ひっぱたかれるの

ドラマみたいでうれしい…///

 

どうしていいか

よくわからないままいたけど

事の成り行きを見ていた先輩が走ってきて

私も自称佐々木の妻も

会議用の部屋に連れてこられた

 

「こんな地味で暗そうな女のどこがいいのよ!」

「社会的に制裁してやる!」

「出るとこでますから!」

「なんて人相の悪い女かしら!

いかにも人のものに手を出しそうね!」

 

移動する間も、罵倒されつづけた

 

 

さすがにこんな事を言われ続ければ

足の小指をタンスにぶつけた痛みが

脳に届くまで二年かかると言われている

鈍い私でもわかる

 

私はこのご婦人の

旦那さんと不倫関係なのだろう

 

 

おいふざけんなよ!

こちとら三年ほど孤高のソリストとして

基本的に尼さんみてーな生活してんだぞ!

佐々木ってだれだよ!

しらねーよ!

 

 

だいたい予想がついてくると

「こんな地味で暗そうな女」あたりのワードが

じわじわ効いてきた

的確に悪口言いやがって

 

ぱいせん「ぬいちゃん、これどういうことなのか聞いていい?」

たわし「心当たりぜんぜんありません」

よよぎ嫁「〇本ぬいってあんたでしょ!!」

わい「それは間違いありませんけど…」

よめ「これ見なさいよ!

あとね、〇〇計画部の佐々木△男!

呼んできなさいよ!」

 

佐々木嫁はドヤで、LINEのスクショを

差し出してきた

先輩はあわてて上司と佐々木なんたらを呼びに行った

 

「ぬいちゃん♡早くまた温泉いきたいよぉ」

「△男くんとのデートぬいもたのちみぃ♡」

「今度は二泊はしたいなぁ」

「二日も外泊して奥さんにバレるんじゃない?」

「バレたらバレたで離婚してぬいちゃんと結婚しちゃう!もう嫁とは冷めてるし」

「奥さんより早くぬいと出会えてれば

こんなに苦労しなかったのにね♡」

「ぬいちゃん♡ほんとすき♡ちゅっちゅ♡」

 

なんだよこの死にたくなるような応酬は

 

 

俺の名前でこんなやり取りするんじゃねえ

とフンガフンガ鼻息も荒く読みながら

奥さんにわたしのスマホを差し出した

 

 

「わたしのスマホです、LINEのアイコン開いてみてください

もちろんサブアカウントなんて持っていません

きっとすぐに判明しますけど」

 

「はぁ?この期に及んで?」

 

鼻でせせら笑う奥さんは

言われた通りLINEを開いて

こういった

 

よめ「これアイコン違うわね、でもこれこそ

サブアカウントなんじゃないの?

普通こんなに友達少ないわけないじゃない

 

わし「お言葉ですが…

友達いないんです

 

よめ「……え、あ、あぁ…そう」

 

 

スマホが無言で返却された

私は試合に勝って勝負に負けたような気がした

 

そこに先輩がようやく帰ってきた

滝川主任と、顔も見たことあるかないかの

男性を一人連れている

 

こいつが佐々木のようだ

 

佐々木「ゆきえ!(嫁さんの名前)なんでここに!」

よめ「やっと全員揃ったわね」

主任「奥様どうぞ落ち着いてください

〇本ぬいの所属する

チーム主任をしております、滝川と申します」

わたし「……」

佐々木「あの…」

わたし「はい?」

佐々木「…この人はだれ?」

わたし「〇本ぬいです」

よめ「しらばっくれるの?」

佐々木「しらばっくれるっていうか…知らない人」

 

 

佐々木ごめんな、ありふれた名前とかいって

わたしのほうがありふれてたわ

 

 

そこからまた10分くらいは

もめたけど

佐々木の上司というのがでてきて

「うちの課にも〇本ぬいさんて女性いますけど」と証言があったのと

真の泥棒猫〇本ぬいが呼び出されたことにより

めちゃくちゃ気まずい空気が流れ

 

殴られたり罵倒されたりした割に

この場で一番関係ないのは

私と先輩、という謎の状況に落ち着いた

 

嫁さんは米つきバッタかバンギャかよ、というくらい

頭をぺこぺこさげて

「感情的になって無関係な人に手を上げて

本当に申し訳ありません」と

涙を流して謝ってきた

 

殴られたのはいいんだ…

言葉の暴力のほうが俺をえぐったぜ…

 

どうせ地味で暗そうで

人のもの盗りそうな顔だろ…

 

私はすっかり不貞腐れてしまったが

奥さんの気持ちが全くわからないというわけでもなかったし

警察沙汰にするのは忍びなかったので

上司と話し合い、私とのことは不問に付すことにした

(夜にお詫びにとデパート券をもらった)

 

ただ、休日に出てまで

仕事したのに

何も進まなかったのだけが

悔やまれる

 

「人のものをとる顔だなんて

怒りに任せて思ってもいない言葉を

あなたにぶつけてほんとうにすみません…」

 

「もういいですよ、奥さん

誤解もとけましたし…」

 

 

でも地味で暗そうのほうは

思ってて言ったのかよ

 

私はぐっと言葉を飲み込んで

帰路へとついた

 

 

【教訓】

キラキラネームもアレだが

ありふれすぎた名前にだって弊害がある